受賞報告
受賞課題:東三河医療圏における放射線治療によるがん診療の成績向上
瑞友会賞(臨床部門)受賞のご挨拶
黒𡌛 賢仁(S57卒)

この度は思いもかけず、名古屋市立大学医学部瑞友会賞(臨床部門)を受賞することになり、身に余る光栄でございます。瑞友会会長松本隆先生をはじめ、選考委員の先生方、御推薦いただいた三島晃先生(豊川市民病院事業管理者、昭和56年卒)に厚く御礼を申し上げます。
私は昭和57年(1982年)に名古屋市立大学を卒業しました。当時は現在のような臨床研修医制度ではなく、放射線医学教室(河野通雄教授)に直接入局し、大学で5年間、診断・治療を学んだ後、昭和62年(1987年)7月、豊川市民病院に1回目の赴任となりました。当時の豊川市民病院は、角岡秀彦院長(昭和32年卒)のもと、増築・増床、新しい医療機器の導入等、病院が大きく発展している最中でありました。新規採用職員も多かったため、同年代の病院スタッフに囲まれ、忙しいながらも楽しく、一般臨床を経験させて頂きました。
平成2年(1990年)7月からは大学へ戻り(大場覚教授)、黎明期であった小児生体肝移植のお手伝い等、小児画像診断を中心に研究、診療を行いました。
平成7年(1995年)7月には2回目となる豊川市民病院に赴任となりました。以後30年近くも勤めることになるとは思いもせず(このことが今回の受賞に大きく関わっているものと思われます)、同じ病院に二度赴任するのは珍しいことだなあ、初回赴任時と同じ環境、同じ病院スタッフと仕事ができるのは楽しみだなあ、という程度の軽い気持ちでの着任でした。ところが、自覚はあまりないものの、放射線科のトップという立場であり、各種画像検査の診断報告書作成・IVR対応・放射線治療など放射線科医本来の業務に加え、中央部門であるが故に、病院運営等のさまざまな分野への対応に迫られることになりました。
これら業務の中で、放射線治療はがん治療の基本のひとつであり、病院にとって必要不可欠な業務であり、他科の先生方の協力を得られない分野であります。専門分野ではないものの、大学時代での経験を活かし、放射線科スタッフの協力、週に一度来院する代務の医師に指導・協力を仰ぎながら、26年間日常業務をこなしてまいりました。その間症例数は少ないものの、全国集計と比較しても遜色のない治療成績を残す事ができました。
豊川市民病院の放射線治療装置は、昭和61年(1986年)に導入され、私が着任した時点ですでに10年以上経過し、そろそろ更新を考える時期ではありましたが、症例数は少なく経営面からも大きな費用はかけにくいことや、病院の新築移転の構想もあり、更新を行わずなんとか新病院まで稼働できる様、放射線科スタッフや業者と共に整備していました。しかし、さすがに15年も過ぎると故障も増え、時間を要する修理も頻回となり、国内で廃棄された機器から部品を調達すると言う荒技も不可能となり、更新せざるを得なくなりました。
病院新築移転が予定されており、移設可能であることを条件とした機種選定を行い、平成20年(2008年)にようやく更新することができました。建物の構造により機能制限がかかる状態での導入でしたが、平成25年(2013年)の病院新築移転後には機能制限は無くなり、精度の高い治療が行えるようになり、症例数も増加して来ました。
令和3年(2021年)には、西田勉先生(前事業管理者、昭和55年卒)、松本隆先生(前病院長、現同窓会会長、昭和57年卒)の後押しもあり、収益性の高い最新鋭の高精度放射線治療器が導入され、当時の芝本雄太教授に御配慮頂き、治療常勤医の派遣に至り、自らも放射線治療医として勤務を継続し、放射線治療常勤医2名体制が確立されました。令和4年(2022年)には、豊川市民病院の念願であった、愛知県がん診療拠点病院の指定を受けることができ、東三河のがん治療に大きく貢献できるようになりました。
特に信念をもって行動してきたわけではなく、放射線科部長、副院長として、課題克服・問題解決し続けていただけで、あっという間に30年近く過ぎ去った印象です。
長い間同じ病院に勤務できた事が幸運でもありましたが、受賞にあたり、何よりも協力支援を頂いた放射線科(現在は放射線技術科)スタッフ、事務方を含めた豊川市民病院スタッフの皆様に感謝致します。
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- 1982年3月
- 名古屋市立大学医学部卒業
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- 1982年4月
- 同上放射線医学教室入局
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- 1983年7月
- 同上助手
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- 1987年7月
- 豊川市民病院放射線科医員
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- 1990年7月
- 名古屋市立大学放射線医学教室助手
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- 1995年7月
- 豊川市民病院放射線科医員
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- 1997年4月
- 豊川市民病院放射線科部長
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- 2016年4月
- 豊川市民病院副院長
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- 2021年4月
- 同上特定任期付職員放射線科部長
- 黒𡌛賢仁氏 授賞理由
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日本における小児生体肝移植の黎明期に、名古屋市立大学病院で手術前後の肝臓の血流を評価されて、手術成績向上に貢献されました。平成7年に再度豊川市民病院放射線科に赴任されて、30年以上にわたり放射線科医師として地域医療の発展に努められました。また副院長として病院運営や人材育成にも力を注がれましたが、特に豊川市民病院におけるがんの放射線治療の確立にご尽力されました。豊川市民病院は、2022年4月1日から「愛知県がん診療拠点病院」として指定され、東三河地域のがん治療の中心的な役割を果たしています。黒𡌛先生のがん放射線治療の功績がなければこの指定は困難であり、地域医療に多大な貢献をされました。