受賞報告
受賞課題:国外からの留学生に対する思いやり奨学金支援
瑞友会賞(社会部門)受賞のご挨拶
この度の私への瑞友会賞(社会部門)授与に対して、松本会長及び役員の皆様に厚くお礼を申し上げます。
私は恩師、佐藤壽昌先生(元名市大学長代理)及び伊東信行先生(元名市大学長)の基で化学発がんをテーマに研究を進めてまいりました。そして、1990年に縁があり大阪市立大学(大阪市大、現大阪公立大学)医学部第一病理学教室に赴任いたしました。定年退職を迎えた2006年3月までの15年半にわたって、化学発癌を教室の基本的なテーマとして、研究を進めてきました。
この間、毎年2から3名の大学院生(国内)が確実に入室してくれ、研究を実施するにあたって、ヒトの面では充実し、発がん閾値、ヒ素発がん、発がん修飾要因、チェルノブイリ原発事故による生体影響等をテーマにし、全員で研究に取り組んできました。大学院生を含む教室員全員に月曜日から金曜日の毎朝8時に集合をかけ、1時間を費やし、研究検討会、抄読会、病理解剖症例検討会を実施しておりました。また、午後5時まではバイト禁止とし、研究に集中させました。(実際には小生に隠れてバイトをしていた者もいたようです。)午後5時以降はフリーにしておりましたので、大学院生は医師故、生活にかかる費用をそれなりに稼いでいたようです。
さらに恩師、伊東先生から言われた「海外に目を向けて」の言葉を頭に海外大学院生を積極的に受け入れ、研究に従事させました。また、純粋培養の日本人大学院生の刺激になれば良いとの発想から海外留学生を受け入れました。彼らは偏西風流に言えば、エジプト、インド、バングラデシュ、タイ、中国、台湾及び韓国からの留学生です。彼らはバイトをせず、夜遅くまで、研究に従事しておりました。(限られたバイトしかなかったのかも知れません。)
研究費に関しては科学技術庁(現文科省)のCREST、文部省(現文科省)の癌研究助成金、文科省、経産省のNEDO、環境省等からの研究助成金、さらには製薬、化学企業からのサポートを受け、それなりに充実しておりました。大学院生が「この研究をしたい」と言ってきた時、「それは費用が掛かるからやめとけ」とは絶対に言わないと肝に銘じ、やらせました。その為にはこちらも研究費の獲得に必死でした。ただ、在職中いつも頭にあったのは、海外留学生の大学院生の生活費は限られており、それを補うべく生活費を研究費からサポートすることが全くできなかったことです。
大阪市大を定年退職後、管理と研究に10年間従事した日本バイオアッセイ研究センター(JBRC)時代にいつも頭にあったのは大阪市大時代、一生懸命、研究に従事した海外大学院生の生活をエンジョイさせられなかった後悔です。このことがJBRCを辞した後、益々強くなり、ある人に相談したところ、海外留学生のサポートを事業目的とする法人を作ったらどうかの提案を受けました。さっそく定款を自ら作成し、法務局に届け、現在の法人を発足させ、研究支援助成活動を開始しました。これ迄に延べ40人の海外からの留学生(エジプト、インド、タイ、マレーシア、中国)の研究援助をしております。今回、ささやかなこの事業が瑞友会賞(社会部門)に値すると認められたことは気恥ずかしいことですが、一方、我が人生にとって大変嬉しきことであります。重ねて感謝申し上げます。
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- 1967年
- 名古屋市立大学医学部卒業
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- 1967年
- 名城病院にてインターン
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- 1968年
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名古屋市立大学医学部第一病理学教室助手
(現・名古屋市立大学大学院医学研究科実験病態病理学分野)
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- 1973年
- 名古屋市立大学 医学博士
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- 1974年
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名古屋保健衛生大学衛生学部 講師
(現藤田医科大学医療科学部)
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- 1977年
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米国マサチューセッツ大学医学部病理学教室
博士(ポスドク)研究員
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- 1979年
- 名古屋市立大学医学部第一病理学教室 講師
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- 1980年
- 名古屋市立大学医学部第一病理学教室 助教授
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- 1990年
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大阪市立大学医学部第一病理学教室 教授
(大阪市立大学大学院医学研究科都市環境病理学)
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- 2002年
- 大阪市立大学大学院医学研究科長・医学部長
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- 2006年
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中災防(現・独立行政法人 労働者健康安全機構)
日本バイオアッセイ研究センター 所長
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- 2016年
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一般社団法人 化学物質安全性評価研究推進機構 理事長
日本バイオアッセイ研究センター 研究顧問
- 福島昭治氏 授賞理由
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福島氏は、数多くの留学生の厳しい研究生活を目の当たりにした経験から、2016年7月に「一般社団法人 化学物質安全性評価研究推進機構」を設立、海外留学生を含む若手研究者への奨学金制度を設立し「思いやり」資金援助を行ってきました。この援助により多くの研究者が日本で育ち、母国に帰国後も指導者として活躍中です。国際的な支援につながる社会貢献です。