受賞報告

<瑞友会賞 社会部門賞>
受賞課題:365日24時間稼働する ドクターカーシステムによる地域福祉医療と交通事故患者搬送への長年の貢献

「瑞友会賞・社会部門賞」受賞のご挨拶

[更新日:2019年10月31日/掲載日:2019年10月31日]
在宅医療 ロータス
院長 小林勝正(こばやし かつまさ)(S44卒)
小林勝正

昭和44年は激動の時代であった。昭和42年に始まった東大医学部紛争により国家試験のボイコット、インターン制度の廃止、非入局が全国的に広がった。そんな中で我々昭和44年卒業生は「卒後研修をどこでするか」個人がその決定を迫られ た。このような局面を迎えたが為に名大・名市大・関連病院と医局関連の垣根を越えた人事が行われた。私も当時2年年長の兄の勧めにより名大関連の名古屋第一赤十字病院に誘われ外科研修医となった。この選択が市民病院に囚われることなく他大学が混成となる研修制度の中で切磋琢磨する環境を与えられたのは幸運であった。

名大・岐阜大学・三重大学など多くの大学から研修医が流入し研修の充実を争ったものである。その後国立がんセンターに誘われ続く3年を国立がんセンター外科レジデントとしてさらに激しい臨床研修にさらされた。それまでの縫合不全や術後合併症に悩まされた日赤時代とは異なり、ハイレベルな癌の拡大根治手術を体験することとなった。術後合併症で亡くなっていく患者を目の前にして昭和46年より鎖骨下静脈穿刺と静脈栄養を独学にて学び、昭和47年にそれを実施することにより相当数の患者を術後合併症から救った。昭和48年国立がんセンターに移ると同時に鎖骨下静脈穿刺とカテーテル留置の手技をがんセンターに広め自分自身も放射線診断学、病理学を再度学ぶと共に外科の手術療法、特に合併切除による拡大根治手術を徹底的に学んだ。もちろん、開胸・開腹手術の双方を学んだ。

レジデント終了後、父の発病のため帰名したが臨床外科手術の極地まで極めたことにより先輩の勧めにより学位論文の為の研究に入った。当時の愛知医科大学はまだ黎明期にあり実験室はがら空きの状態であった。外科教授には臨床免除をお願いし、朝7時半から研究室で肝臓に関する犬の手術を行った。400例の手術の末、日本外科学会に発表し名古屋大学の学位審査を受けた。

そこで名大の指示があり名古屋掖済会病院、名鉄病院、岐阜県関中濃病院にて御礼奉公を終了した。手術をやりきり学位を取得してしまえばあとは臨床にて自分の腕を試すだけである。

35歳の時に当時無医村であった愛知県丹羽郡にて有床診療所を開設した。24時間決して断らない救急診療を旗印に掲げ母校の名市大から同窓生の整形外科、皮膚科、泌尿器科、耳鼻咽喉科や名大の脳神経外科から助けてもらい3年後に救急病院となった。地域医療に徹する為に避けて通れない警察の仕事をし、検死業務においても断らない医療を掲げて遮二無二働いた。高速道路の検視業務から救急医療との兼合いでドクターカーの必要性を感じ、2008年愛知県で最初のドクターカーの許可を得た。無論このドクターカーの許可には愛知県警からの協力もあったが、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の救助活動が認められたことも大きい。2011年3月11日発生した東日本大震災では4月に放射能に汚染された福島に赴き検死業務を行った。同年6月には宮城県警の仙台から石巻と気仙沼に赴いた。こうした救急業務、検死業務をやる側ではなく受ける側にとって今後何が必要かと言うことを学び、自分の仕事にフィードバックしてきたものである。40年行ってきた検死活動から「避けることのできる死」をテーマに2017年より在宅医療に取り組んだ。動けない患者、受診できない患者、そうした人達を自分が動けるうちに救いたい。というテーマが私にとって最後に残されたテーマである。「書かれた教科書の中には過去の医学があり目の前の患者の内に未来の医学がある。」

略歴
  1. 1969年
    名古屋市立大学医学部卒業
  2. 1969年-1973年
    名古屋第一赤十字病院外科
  3. 1973年-1976年
    国立がんセンター外科
  4. 1976年-1979年
    名古屋掖済会病院嘱託
  5. 1978年-1979年
    愛知医科大学第一外科研究員
  6. 1980年
    名鉄病院
  7. 1980年
    名古屋大学医学研究科において医学博士の学位を取得
  8. 1979年-1980年
    岐阜県厚生連 関中濃病院
  9. 1980年
    大口外科クリニック開院
  10. 1983年
    医療法人医仁会 理事長
  11. 1994年
    愛知県警察医会入会
  12. 1995年
    阪神淡路大震災 災害救助活動(全国で初の救援チームとして活動)
  13. 1996年
    老人保健施設さくら荘開設 医療法人医仁会 さくら病院に名称変更
  14. 2008年
    有料老人ホーム 太郎と花子開設
  15. 2010年
    医療法人医仁会 さくら総合病院に名称変更
  16. 2011年
    東日本大震災 検案(福島県)
  17. 2011年
    東日本大震災 検案(宮城県)
  18. 2015年
    愛知県警察医会会長
  19. 2016年
    大阪大学大学院科目等履修生高度プログラム(死因診断能力の向上と死因究明の研究)修了
  20. 2016年
    愛知県警察部会副部長
  21. 2019年
    在宅医療ロータス 院長
小林勝正氏 授賞理由

多彩な社会奉仕活動である。

  1. 地域自治体(小牧市、犬山市、江南市、岩倉市、地域警察等)と組んだ採算度外視の365日24時間待機救急搬送システムを構築し運営している。
  2. 自前のドクターカーに医薬を満載して阪神淡路・東日本大震災地に震災翌日に駆けつけ救援活動を行った。また日本法医学会と警察庁の要請に応えて高放射能物質汚染立入り禁止地域での多くの津波被害者の死体検案を実施した。
  3. 死因不明の異常死体のCT画像診断(Autopsy imaging, Post-mortem imaging)を愛知・岐阜県警の依頼で行っている。(2018年1300体実施)。
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