周年記念事業

No.001 名古屋市立大学医学部創立75周年記念事業について

[掲載日:2016年10月25日]
実行委員会 副委員長 奥村格郎(S44卒)
2016年10月8日

今年も8月15日に71年目の終戦記念日の式典が執り行われました。その太平洋戦争の最中の昭和18年4月に、桜山キャンパス南の名古屋市博物館が現在建つ場所に在りました名古屋市民病院を附属病院として名古屋市立女子医学専門学校が設立され、当時の病院長だった戸谷銀三郎先生が初代学長に就任されました。女子医専1回生の青山光子先生にお聞きすると空襲を避けながら通学・勉学に励まれたとのことで、大変な時代に開学したものです。こうして名古屋市立大学医学部の母体が創立され、再来年2018年には75年目の節目を迎えることになります。

そこで同窓会では、この名古屋市立大学医学部創立75周年を盛大に祝うべく、記念事業を実施することになりました。この事業のために過日、記念事業の発起人をお願いいたしました処、多くの方に快くお引き受けいただきました。厚く御礼申し上げます(発起人名簿へのリンク)。発起人の皆様にお集まりいただき、平成 28年 9月 24日(土)16:00から同窓会館において第1回 名古屋市立大学医学部創立75周年記念事業発起人総会を開催しました。そこでは、同窓会の事業委員会を中心とした記念事業実行委員会の構成をお決めいただき、実行委員長として土屋 隆先生(S37)、副委員長として同窓会の山本喜通会長(S51)と私奥村格郎(S44)が選出されました。記念事業の内容についても多くのご意見を頂きましたが、今後は実行委員会の場で検討することになりました。

名古屋市立大学医学部は1993年の創立50周年の頃は基礎医学15教室、臨床医学17教室でしたが、今日、医学部も大学院としての講座形態となり、臨床部門では臓器別診療形態がとられるようになりました。それに伴い教室数も56教室をこえ、母校出身の教授も多数活躍され、発展の一途を遂げています。

一方、本学は2006年に法人化されましたが、設立母体である名古屋市当局からの補助金が緊縮財政の中、年々減額されるばかりで、研究面・設備面でも大変苦労されている様です。同窓会としてもこの記念事業を通して、母校のさらなる発展に少しでもお手伝いができればと願っています。

記念事業を行うに当たり、その資金として会員の皆様から寄付を頂くことになります。世界的経済状況が悪い折、我が国においてもアベノミクスが思うように進んでいない今日、会員の皆様に寄付をお願いするのは大変心苦しい事ですが、よろしくご理解下さい。また、発起人としてお声を掛けさせていただかなかった会員の皆様からも多くのご意見・要望を頂ければ、皆様に満足していただける立派な記念事業が出来るものと期待致しているところです。

後日、改めて御協力お願いの趣意書を送付いたします。何卒ご理解、ご協力の程お願い申し上げます。

発起人名簿(50音順、敬称略、2016/10/08現在103名)
青木康博、青山光子、青山峰芳、赤津裕康、赤毛義実、明智龍男、浅井清文、薊 隆文、安藤重満、飯田真介、飯田昌幸、井口普敬、石川 清、石川雅一、伊藤宣夫、伊藤弘美、伊藤 誠、稲垣 宏、植木孝俊、上島通浩、鵜川眞也、大塚隆信、大手信之、大原弘隆、岡田秀親、岡本 尚、奥田宣明、奥村恪郎、小椋祐一郎、尾崎康彦、小鹿幸生、片岡洋望、神谷 武、神谷保廣、木村和哲、桒原義之、小嶋正義、小山賢吾、近藤 豊、齋藤伸治、榊原有作、佐々木實、笹野 寛、澤本和延、芝本雄太、渋谷恭之、島野泰暢、城 卓志、杉浦真弓、酒々井眞澄、鈴木貞夫、鈴木 悟、鈴森 薫、祖父江和哉、高橋 智、竹山廣光、城 義政、田中宏紀、田中靖人、津田喬子、津田洋幸、土屋 隆、遠山竜也、戸苅 創、中西良一、永谷祐子、新実彰男、西田 勉、橋谷 光、長谷川忠男、服部友紀、花井謙次、馬場駿吉、早川富博、早野順一郎、飛田秀樹、福田道雄、本多英邦、眞下啓二、間瀬光人、松川則之、松嶋麻子、松本美富士、三島 晃、水谷 潤、水谷武彦、水野 章、水野金一郎、道川 誠、御供泰治、宮本忠壽、村上信五、森田明理、安井孝周、山崎小百合、山路兼生、山本俊幸、山本喜通、横井基夫、横山善文、吉川公章、和田郁雄、和田昌也
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