瑞友会会長ごあいさつ
瑞友会(名古屋市立大学医学部同窓会)新会長 挨拶
この度、第11代瑞友会(名古屋市立大学医学部同窓会)会長を拝命いたしました松本隆でございます。50数年の歴史と伝統(前身の斯友会から約70年)、約5000名の会員数を誇る巨大な瑞友会という組織の運営を担うことになりました。その重責に身の引き締まる思いです。第9代奥村恪郎先生により瑞友会が一般社団法人化され、第10代山本喜通先生により「時事通信社グループ(医療分野への進出を進めている)」との包括的連携協定が締結されました。法人化により社会的信用が格段に増強し、組織としての永続性が担保されました。収益事業も可能であり寄付金や基金も集めやすくなりました。時事通信社Gとの協業により同窓会名簿のクラウド化やホームページの充実、会費徴収の多様化がなされ、これからの瑞友会が新時代に対応するための土台ができています。これが現在の瑞友会の姿です。
さて、初めに簡単に自己紹介をしたいと思います。私は昭和57年に名古屋市立大学を卒業しすぐに脳神経外科に入局しました。1年の研修医生活の後、大学院へ進学しました。その後当時の永井肇教授のご推薦により昭和の終わりから平成にかけて、イギリスのロンドン大学神経学研究所・脳神経外科部門(Queen Square)に留学することができました。研究だけではなく臨床に従事できたことはその後の医者人生の大きな支えとなりました。帰国後10数年間、大学と市中病院を行き来したのち約20年前に前職の豊川市民病院へ赴任しました。前半は脳神経外科医として最も充実した時間を過ごすことができました。後半は病院運営に軸足を移し、臨床研修センターの立ち上げ(現キャリア支援センター)、救急部門担当副院長として救命救急センター(三次救急病院)の開設にかかわりました。令和になると同時に病院長を拝命しました。その後の3年はまさに「新型コロナ感染症」との闘いの日々でした。有事ではありましたが、その間にも職員一丸となり「地域連携支援病院」「がん診療連携拠点病院」の指定を受けることができました。また郡健二郎名市大理事長、竹本幸夫豊川市長のご尽力で「名古屋市立大学と豊川市との連携に関する協定」を結ぶこともできました。これらを通し豊川市民病院は、東三河を代表する中核病院として一流病院の仲間入りを果たしました。この間、組織運営に関し多くのことを経験しました。それらを生かし、「瑞友会」をさらに発展させ皆様に愛される同窓会にしていきたいと考えています。
では、どのように「瑞友会」を運営していくか。どこを目指していくか。私は、これからの2年間は「原点回帰」を目指していきたいと考えています。原点とは何か。昭和44年発刊の同窓会会報第1号(復刻版を参照してください)に初代水谷孝文会長が寄稿した挨拶文の一部を抜粋します。
「同窓会の意義は第一に同窓意識の昂揚であります。次第に数を増していく同窓生から、一人の疎外者も出さないことが、本会の重要なつとめと考えます。そのために会誌の発行、名簿の整備を行い、同窓生各位の動静、母校の近況、会員の意見等をお知らせすることによって、お互いの意思の交流と対話の場とする考えであります。」
私は、ここにこそ瑞友会の原点があると思います。すべての会員の「同窓意識の昂揚」。学生を含めた全瑞友会会員、特に女性や若手、全国/世界でキャリアを積み活躍している先生方にも等しく光を当てていく。教室会員の先生方は、主に職員として名市大医学部に貢献され、同じ時間を過ごしてきた同窓の仲間です。教室会員の先生方にもしっかりと光を当てていく。そのうえで時代にマッチした新しい試みも行っていきたいと考えています。
そのための仕組みとして、各領域における「階層的窓口」の新設を行いました。これにより、色々な領域/職域からの情報収集を促進し、必要な際の動員・周知・推薦等々の窓口を多様化します。大学は、飛田秀樹先生(平成3年卒)に一次窓口をお願いしました。そこからの二次窓口を、内科系飯田真介先生(昭和62年卒)、外科系安井孝周先生(平成6年卒)、内科・外科系以外として祖父江和哉先生(平成5年卒)、教室会員として尾崎康彦先生、女性医師として北折珠央先生(平成13年卒)、若手医師として田中守先生(平成15年卒)、薬学部・看護学部等他学部担当として青山峰芳先生(平成5年卒)にお願いしました。その他、東部・西部医療センター等の大学病院の一次窓口を松嶋麻子先生(平成11年卒)、豊川、蒲郡、いなべ総合等関連病院の一次窓口を相田直隆先生(昭和62年卒)、医師会関係の一次窓口を島野泰暢先生(平成5年卒)、全国/世界で活躍する瑞友会会員の一次窓口を愛知県がんセンターの岩田広治先生(昭和62年卒)にお願いしました。各二次窓口は運営委員会で最終決定しそれぞれにお願いしていきます。今後は学生にも窓口を広げていきたいと考えています。
同時に、今までは口伝を中心に継承されてきた「瑞友会の種々の業務や実務」の詳細も順次明文化・マニュアル化し、執行部が世代交代しても、遅滞なく「瑞友会業務・事業」が継承できるようにしていきます。瑞友会にかかわるあらゆる情報が会員間で共有できる、開かれた瑞友会を目指していきます。それが組織としての強靭さ(resilience)や持続可能性(sustainability)に繋がると信じています。
次に中長期的な夢を語りたいと思います。
「瑞友会」は、医師という同業者約5000名からなるGuild(同一職業の集団)とみることができます。コロナ禍で明らかとなったことの一つに「日本の医療界の分断」があげられます。academiaはacademia、行政は行政、医師会は医師会、勤務医は勤務医(勤務医は統括機構自身存在しない)で分断されています。横の情報交換は極めて乏しく、有事に一団となって対応する体制は皆無と言っていい状況でした。国における指導的立場の人や組織は明確ではなく、指揮命令系統は存在さえしていませんでした。最もまずいことは、3年近くたった現在でも何ら具体的な改善策は取られておらず、目途すら立っていないことです。医療界の既得権益側・体制維持側は、有事にはまさに思考停止の状態でした。これが世界から大きく取り残された要因の一つと考えます。同窓会は同じ大学の卒業生を中心に構成されていますが、所属する職種/職場は様々です。前述のあらゆる領域に広がっています。ここ数年コロナと対峙する中で、この同窓会という職種横断的医師集団/プラットフォームは日本の医療界に一石を投じうるポテンシャルを持っている。そういう思いに至りました。そのような思いや夢の一部を「瑞友会会長立候補の所信表明」に記しました。
最後にその文章を引用し、私の会長就任の挨拶とさせて頂きます。
「昭和57年卒の松本隆と申します。この3月を以って20年間勤務した豊川市民病院を定年退職しました。平時の病院運営のみでなく、有事とも言えるコロナ禍を病院長として経験し、多くのことを学びました。この経験を活かし、より強い瑞友会、より大学に貢献できる瑞友会にしたいと考えています。瑞友会は現在一般社団法人であり、その目的は「名古屋市立大学大学院医学研究科・医学部の発展に寄与する」ことです。そのための事業を行うことが出来ます。私は、通常の瑞友会業務・事業に加え「何らかの新しい事業を展開し、その収益の一部を大学へ還元するシステム」を構築したいと考えています。第一弾として「瑞友会を質の高いオンライン診療の安心・安全なプラットフォームに出来ないか」と考えています。賛同が得られれば、検討部会を外部識者を交え立ち上げたいと思います。結果の如何に関わらず「医学部同窓会が事業体として活動し、その収益の一部を大学へ還元する道筋をつける」「同窓会員がオンライン診療を学ぶ」ことができる、と考えています。どうぞ皆様、ご支援ご協力の程よろしくお願いします。」
荒唐無稽な夢物語かもしれません。しかし一人でも賛同者がいれば、少しずつでも前に進めたいと思います。どうぞよろしくお願いします。